欲望のその先へ

人々は、社会という共同体で仮面を被りながら、欲望を実現しようともがいている。世のため人のためと活動している人も、何らかの欲を満たすために活動しているにすぎない。

欲望は、人を獣にする。仮に、超越したその先に破滅しか待っていなくとも、欲望のためなら、限界すらも軽く超越してしまう。そこに、長期的な計画性は存在しない。存在するとしても、その計画には、常に欲望という足枷が付きまとう。

人類は皆、ふとしたきっかけで、欲望を露出する。欲望が無いように振る舞っている者も、社会性の仮面の裏に、欲望を隠しているだけだ。欲望を超越したように振る舞う者は、欲望に支配されている。理性が幾ら欲望を嫌おうとも、欲望は常に理性を超越する。この世界に欲が無い場所は存在しない。欲の無い世界を幾ら望もうとも、我々には、その世界を観測する事すら許されていないのだ。

様々な媒体が存在すると示唆した、人類を超越した支配者とは、人類に根付く、欲望という感情そのものなのかもしれない。


秋の金木犀の香りが、私に欲望を捨てよと語りかけてくる。

欲望渦巻くこの社会で、欲望を捨てるならば、私は何に縋って生きていけば良いのだろう。私の人生は、その答えを探す旅なのかもしれない。